戦国時代から東金城を中心とした城下町が広がっていた東金、そして雄大な太平洋が望める九十九里の関東を代表する歴史スポットをご紹介します。
「大日本沿海輿地全図」を完成させた忠敬の生誕地
延享2年(1745)、この地に生まれた伊藤忠敬の記念公園で、出生地の記念碑のほか、園内の一角には測量をする忠敬の銅像がある。
【豆知識】 小関家に生まれた忠敬は、妙学持住職に数学などを学び10歳まで生誕の地で過ごした
九十九里の海を愛した小説家の足元
大正6年(1917)に九十九里に滞在した徳富蘆花は、当時の海辺の暮らしを翌年の4月に『新春』として繊細な筆で綴った。碑にはその一節がある
高村光太郎が療養中の妻と過ごした思い出の地
高村光太郎の『千島と遊ぶ智恵子』の詩碑は光太郎のペン書きを拡大したもの。真亀海岸の砂浜を愛した病身の妻の愛が綴られている。
古くから漁民も農民も信仰した七福神
七福神とは日本と中国の仏教が混じった神様と伝えられ、九十九里では古くから信仰されできた。文政2年(1819)に創建された神社には恵比寿像がある。
江戸時代中期に甘藷栽培を普及
青木昆陽は江戸時代中期に古文書調査と蘭学研究に励んだ学者。人々を飢えから救う作物としてサツマイモに注目し『蕃薯考』を著したことで有名。
大正ロマンを代表する画家の美しい詩
竹久夢二が銚子が暮らす女性に恋をして詠んだ詩が刻まれた詩碑。彼の失恋は代表作の『宵待草』を生きむきっかけになったといわられている。
500年以上の歴史を誇る顕本法華寺院…
文明年間(1469-87)に東金領主・酒井定隆の改宗令によって、真言宗から顕本法華宗に改宗した七里法華の寺院。伊能忠敬の墓所も残される。
【豆知識】 境内には広島の平和の鐘の作者、香取正彦と父・秀真が共に造った「平和・喜の鐘」がある
明治末期に建てられた国登録有形文化財
多田屋は文化2年(1805)創業の千葉県で最も古い書店。旧社屋は元東金税務署として明治末期に立てられ現在でも往時の面影を残す。
緑と池が美し東金市指定史跡
室町時代に東金城主・酒井定隆の菩提寺として建立された名刹。八鶴湖を見下ろす城山の中腹に、広大で緑豊かな境内が広がる。
【豆知識】 お手植え蜜柑の種類は「しらわ」といい静岡の白羽神社の御神木から献納された穂木と伝わる。
老杉に囲まれた神密的な古社
表参道の両側に樹齢350年を超える大杉が並び、荘厳な雰囲気に包まれている。本殿は市指定有形文化財。
【豆知識】 2年1度、日吉神社連合祭典が行われる。山車や屋形は「東金形」という独自の形状。東金の宮大工・大木茂八の作。
江戸から明治に活躍した蘭学医
関寛斎の碑は東金に生まれ、佐倉・長崎で蘭学を修めて徳島藩医に。戊辰戦争で官軍の野戦病院頭取を務め、後に北海道開拓で活躍した。
東金市で有名な古刹
境内には切られ与三郎の墓や大黒様などもどころが多い。上総十ケ寺に数えられ、徳川家康から三十石の寺領を受けた御朱印寺でもあった。
【豆知識】 山門の扁額に「八鶴」の文字があり、江戸時代の漢詩人・遠山雲如がこれを見て八鶴湖と命名した
東金発展の礎を築いた古城跡
戦国時代に東金市の基礎を築いたとされる酒井氏の居城で天正18年(1590)まで機能していたと伝えわる。城山には遺構も多く残されている。
城西国際大学の創立者・水田三喜男が蒐集した浮世絵を中心とする絵画約200点を所蔵している。千葉県ゆかりの文化の紹介も。
■ 基本内容
・るるぶ特別編集:東金・九十九里 るるぶ特別編集
※基本内容は、東金・九十九里 るるぶ特別編集より引用させて頂いております。
※東金・九十九里 るるぶ特別編集の本誌は、当ホテルフロントでも配布しております。(日英中3カ国有り、無くなり次第終了)
■ 写真等
九十九里町観光協会
東金城址
安国山 最福寺
西城国際大学 水田美術館
多田屋本社社屋(千葉県教育委員会より)
・Wikipedia より
八鶴湖
本漸寺
日吉神社
関寛斎
より拝借させていただいていおります。